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福島地方裁判所白河支部 平成2年(ワ)21号 判決 1993年2月16日

主文

原告らの被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

一  争いのない事実

原告五十嵐が幼稚園各園長の職にあること、同原告が由井ケ原に白河日本語学校の開設を計画し、平成元年六月1日由井ケ原部落の役員会で白河日本語学校開設についての説明をしたこと、被告後藤が原告五十嵐の右計画に反対したこと、白河日本語学校の開設を非難する内容のビラが由井ケ原等の住民に配付されたこと、平成元年六月二〇日の由井ケ原部落の臨時総会で白河日本語学校開設反対の議決がされたこと、同年七月二〇日、西郷村長に対して白河日本語学校開設反対の陳情がなされたこと、白河日本語学校開設反対を訴える立看板一〇枚が設置されたこと、同年一一月一七日被告後藤らが日本語教育振興協会と文部省に白河日本語学校開設反対の陳情をしたこと、反対同盟が結成され、被告後藤が事務局長に就任したこと、同年一二月一一日、日本語教育振興協会が白河日本語学校の建物を視察したこと、その際、由井ケ原の住民約七〇名が白河日本語学校開設に対する反対運動を展開し、原告五十嵐が所有する白河日本語学校の敷地内に立ち入つたこと、これを報道機関が取材したこと、同日被告後藤が右敷地に立ち入り、専用水道の元栓を閉めたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

二  反対運動の経過

右争いのない事実に、《証拠略》を併せると、以下のとおり認められる。

1  原告五十嵐は、学校法人西郷学園理事長、西郷第一、第二、第三幼稚園各園長の職にあるが、平成元年初め頃、フィリピン国の公益法人「比日文化協会」の会長やマニラ大学教授等に就任し、同国と日本国との文化交流や友好に尽力している原告三木と知り合つたことから、同人の協力のもと、かねて原告五十嵐が取得していた由井ケ原の土地にフィリピン留学生のための日本語学校(白河日本語学校)の開設を計画した。

原告五十嵐は、同年三月頃、白河日本語学校校舎及び宿舎の設計に取りかかり、同年四月一〇日、由井ケ原部落長の伊集院五郎を訪ね、由井ケ原部落に白河日本語学校を開設するについて、同部落民に説明する機会を設けてほしい旨依頼し、同年六月一日、由井ケ原部落の役員会において同部落の役員に対し、白河日本語学校開設の目的と概要を口頭で説明するとともに、白河日本語学校の開設により専用水道を使用することになる旨を申し入れ、その頃から白河日本語学校校舎等の建設に取りかかり、併せて日本語教育振興協会の認可を得るため、同協会に対して白河日本語学校の審査請求をした(この申請書によると、原告五十嵐所有の三四八三・七二平方メートルの土地に床面積二一四・五平方メートルの校舎一棟と床面積一一九・二四平方メートルの宿舎一棟を建築するほか、他の原告五十嵐所有地にも宿舎を建築し、教育期間を二年間として生徒数六〇名を予定することになつている。)。

2  右由井ケ原部落役員会の席上、部落側から原告五十嵐に対し、専用水道は生活用水程度の利用のみ認める旨の回答と白河日本語学校の説明資料を提出してほしい旨の要請がされたが、同原告は部落全体の集会で説明したい旨応答し、その後右資料を提出しないままでいた。

このため、同月二〇日に開催された由井ケ原部落の臨時総会では、多くの住民から閉鎖的な農村地域に大勢の外国人が滞在することになる日本語学校の開設に対する反発と不安が表明され、折悪しく、その頃日本語学校を利用した外国人の不法就労問題や不法就労外国人によると見られる犯罪の発生等がマスコミで報道されていたこともあつて、白河日本語学校開設に反対する意見が大勢を占め、白河日本語学校開設反対の議決がなされたばかりか、同年七月二〇日には同部落民から西郷村長に対して白河日本語学校開設反対の陳情がされるに至つた(この陳情は同年一二月二一日の西郷村議会で採択されている。)。

なお、この頃には白河日本語学校校舎及び宿舎の上棟式も終わり、更に建築が進められていつた(同年一一月頃にはこの建物が完成している。)。

3  その後も反対の動きは続き、同年九月には、川谷地区の青年達で結成している川谷懇話会が白河日本語学校開設に反対することを決め、同年一〇月九日付けでその旨の意見書を由井ケ原部落長らに提出し、同年一〇月一三日には、由井ケ原部落長伊集院五郎、被告後藤及び報徳農業協同組合長荒谷の三名が原告五十嵐宅を訪ね、白河日本語学校開設反対の署名簿を交付し、その頃、由井ケ原周辺の公道沿いの私有地に白河日本語学校開設反対を訴える立看板一〇枚が設置されるなど、反対運動が活発化した。

同年一一月一七日には、被告後藤らが日本語教育振興協会と文部省に白河日本語学校開設反対の陳情をし、同年一一月二二日には、報徳農業協同組合、由井ケ原部落会、川谷懇話会及び白河高原ホルスタインクラブの四団体によつて反対同盟が結成(伊集院五郎が会長、被告後藤が事務局長にそれぞれ就任した。)され、その後白河日本語学校の開設を非難する内容のビラ等が由井ケ原等の住民に配付されるようになつた。

同年一二月七日には、被告後藤ら由井ケ原の主だつた者数名が、被告鈴木同道のもと伊東正義代議士を訪ね、同代議士の口添えを得て、日本語教育振興協会に白河日本語学校開設反対の陳情をした(被告鈴木も同協会まで同道した。)。

4  日本語教育振興協会の白河日本語学校視察が同年一二月一一日になされることを知つた反対同盟は、同協会の視察員に対して反対の意思を表明するため、右視察に合わせて由井ケ原公民館で集会を開催することを決め、一部の者がその旨報道機関に連絡したうえ、由井ケ原の住民約七〇名を集めて反対運動を展開した。集会に集まつてきた者たちは、既に日本語教育振興協会の視察が始まつているのを知り、被告後藤を含む数十名が原告五十嵐が所有する白河日本語学校の敷地内に立ち入り、白河日本語学校開設に反対する旨を叫んだりしたが、視察について直接の妨害行為はせず、同協会の視察は支障なく終了した(なお、同協会から優良校の認定を受けないと、白河日本語学校に入学する外国人に対して二年間の就学ビザが下りないので、開校が事実上困難となる。)。

5  また、右のように白河日本語学校敷地内に立ち入つた被告後藤は、由井ケ原の専用水道の使用は農業用水と生活用水に限られるので、これに該当しない白河日本語学校の専用水道の使用は認めないとして、原告五十嵐所有地内にある水道の元栓を閉める旨を同原告に通告してこれを閉栓した。

なお、右専用水道は、由井ケ原部落民が資金を出して昭和四五年から同四六年にかけて敷設したもので、被告後藤は、右専用水道利用者で構成する水路管理会の会長であつたが、既に開催された同会の役員会において、原告五十嵐に対して生活用水程度の使用は認めるが、それ以上の使用は認めない旨了解されていたので、水路管理会の会長として右行為に及んだものであり、その際原告五十嵐から明確な閉栓反対の意思表示はなかつた。

6  原告らが白河日本語学校の開設を予定した由井ケ原部落は、那須山麓の高原地帯に位置する農業地域で、戦後入植した二八戸の農家が土地を開墾して酪農や馬鈴薯栽培等に従事しており、今日まで他の地域からの住民の流入も皆無であつて、住民たちが近隣の密接な人間関係の中、平和で静寂な環境の中で暮らしてきた閉鎖的な地域である。

7  白河日本語学校の開設に反対する者が主張する反対理由の主なものは、過疎地域に大勢の外国人が滞在することに対する治安上の不安、白河日本語学校生徒の不法就労の可能性、白河日本語学校について事前説明の欠如、事業内容の杜撰さや不明瞭さ、飲料水の不足、原告五十嵐の傲慢さ、白河日本語学校の建物建築の強行等々である。

三  被告らの責任について

1  以上の認定事実によれば、原告らが計画した白河日本語学校が、フィリピン国と日本国との友好の見地から計画された教育施設で、留学生を厳選し、教育内容や施設面も充実した不安のない施設であつた(原告ら各本人の供述)としても、閉鎖的な農村地域に大勢の外国人が滞在することになる日本語学校の開設への地元住民の驚きと不安は大きく、しかも、その頃日本語学校を利用した外国人の不法就労問題や不法就労外国人によると見られる犯罪の発生等がマスコミで報道されていて、原告らの意図も白河日本語学校の目的が由井ケ原の住民に容易に理解されない状況にあつたのに、原告らは、自ら計画した施設に対する自負心も手伝つて、地元住民に対して説明すれば容易に賛成してもらえると軽信し、白河日本語学校開設の目的と意義、あるいは国際親善の理想、更には施設の具体的な詳細等について、地元住民に事前の充分な説明をしないまま、白河日本語学校校舎及び宿舎の建設を一方的に押し進めた結果、地元住民の反発を招いて、前記のような反対運動へと発展していつたものと解されるのである。

2  もつとも、この点については、由井ケ原部落側が原告五十嵐に事前説明の機会を与えなかつたとの反論が原告らからされるかもしれないが、由井ケ原部落の役員会の席上で白河日本語学校の資料の提出を求められたのに、これを提出しなかつた原告五十嵐の側にも反省すべき点があり、由井ケ原部落側のみを責めることはできない。

3  こうした経緯に加えて、由井ケ原が閉鎖的な農村地帯であることや、開設される施設が外国人を対象とする日本語学校という特殊なものであること等の前記事実に照らすと、白河日本語学校の開設に対する前記由井ケ原住民らの不安や反対を単なる不合理な偏見として簡単に排斥することはできず、前記住民の反対運動には無理からぬものがあつたと言えるのであつて、前記認定にかかる白河日本語学校開設に反対するビラの配付、議決、陳情、立看板の設置、反対同盟の結成、被告後藤の事務局長就任、日本語教育振興協会の現地視察に合わせた反対運動の展開、報道機関への事前通報の各行為は、いずれも原告らの白河日本語学校開設に反対する意思表示の一方法であり、《証拠略》によつても、右のビラ、立看板の記載や陳情内容等が権利行使の範囲を逸脱した誹謗中傷であると認めることはできないのであるから、これらを違法ということはできず、他に不法行為を構成すると認めるに足りる証拠はない。

4  また、被告後藤らは、日本語教育振興協会の白河日本語学校視察に際して、白河日本語学校開設の反対運動の一環として原告五十嵐所有地内に立ち入つたもので、これについては原告五十嵐の明確な拒絶や制止もなかつたうえ、被告後藤らも白河日本語学校開設反対を叫んだものの、それ以上に視察を妨害する具体的行動はなかつたことからすれば、これが原告五十嵐の権利を侵害したとまで言うことはできない。

更に、その際被告後藤が行つた右敷地内の専用水道の閉栓行為も、水路管理会の会長であつた被告後藤が同会役員会の意向を踏まえて行つた管理行為であり、原告五十嵐も右専用水道の閉栓を拒絶していなかつたのであるから、被告後藤の右行為は社会的に相当な行為として是認されるものであつて、これを不法行為と言うことはできない。

5  原告らは、これらの各行為が被告後藤の原告五十嵐に対する個人的な悪感情によりなされたものであると主張しているが、これを認めるに足りる証拠はなく、結局、被告後藤の不法行為を認めることはできない。

6  また、原告らは、被告鈴木が、原告五十嵐に対する個人的悪感情のため、自らリーダーとなつて陳情団を結成し、平成元年一一月一七日に日本語教育振興協会と文部省に対して白河日本語学校開設反対の陳情をした旨主張しているが、この事実を認めるに足りる証拠はない。

もつとも、西郷村長であつた被告鈴木が平成元年一二月七日被告後藤らの日本語教育振興協会に対する陳情に同道したことは前記認定のとおりである。

しかしながら、被告鈴木本人の供述によると、同被告は、日本語学校の開設に積極的な反対を表明していた訳ではなく、むしろこれを他の場所に開設するのが良いと考えていたのであつて、日本語教育振興協会に同道した際にも、白河日本語学校に反対する意向を表明したことがなかつたと認められ、被告鈴木が原告五十嵐に対する個人的悪感情のため右同道をしたと認めるに足りる証拠はない。

また、村長たる者が村民の争いに介入するのに公平でなければならないことは言うまでもないが、村長の地位が政治的地位である以上、村長が自らの政治的判断や信条に立脚した行動を取ることもまた許容されていると言わなければならず、仮に村長が村政推進の見地から白河日本語学校の開設に反対する行動を取つたとしてもこれを違法と言えない道理であるから、右陳情に同道したことをもつて不法行為に該当するとも言えない。

五  結論

以上によれば、被告らの本件各行為を不法行為ということはできないから、その余の点の判断をするまでもなく、原告らの被告らに対する本訴各請求には理由がない。

よつて、原告らの被告らに対する本訴各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮岡 章)

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